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日光例幣史道

■追分の常夜燈と閻魔堂  倉賀野〜境町 1月11日  地図
中山道を東京方面に向かい、倉賀野の追分の分岐を左折。ここから
楡木までの例幣史街道が始まる。群馬県内に玉村宿、五料宿、柴宿
木崎宿、太田宿の5か所がある。日光例幣史の派遣が1645年から
1867年までの221年間中止することなく続けられた。
AM7時45分スタート、初日の今日はJRで倉賀野駅まで行き、
追分から織間本陣までの20kmを歩いてみる。

■玉村八幡宮

9時10分 現在のメイン道路から100m程奥にある玉村八幡宮の門。奥の本殿が正面に見えない、少しずれている。例幣史道と言われる道を歩いてきたが、昔の道はこの門のすぐ前にある道の様に思われた。しかし古い地図をみるとメイン通りの間口の狭い区画割りは街道そのものだ。
■木島本陣跡歌碑

中山道倉賀野から別れ最初の宿、玉村宿。八幡宮のすぐ近くにある。
■玉村下新田 毘沙門堂の石燈篭

例幣史道玉村宿の目印で常夜灯の可能性があると案内板に記されていた。
■五料宿の常楽寺


■五料の関所跡

案内板の手前に門の沓石が残っている。全国に関所が54か所、その内群馬に14か所、その中で日光例幣史道に1か所あった。4月1日に京都を出発し玉村宿に4月11日に宿泊、日光に4月15日着で1日あたり40km程度歩いている。
■利根川 五料橋

五料の渡しがあった所、渇水期の1月でも水量がある。例幣史が通った4月12日、上流にダムが無い江戸時代、水量はどうだったのだろうか。
■柴宿

中には入れないが門わきの松が歴史をしのばせる。
■雷電神社

鳥居のそばに冬桜が咲いていた。この後昼食は街道から200m程離れた現役時代によく寄った「つむぎや」。久しぶりにもつ煮定食をいただく。
■右赤城 1時20分

例幣史街道は赤城山を左側に見ながら歩くが、ここだけ右側に見えるので「右赤城」という。斜め右後方という感じで遠くに赤城山がみられた。現在の広瀬川の蛇行の為に曲がった道になったようだ。
■道しるべ

東日光道と書いてある、その他の3面は判読できなかった。

■八海山

広瀬川にかかる武士橋をわたり10分ほど歩く。遠方(越後三山や木曽御嶽山)まで出かけなくても信仰が出来るようにと築山がきずかれ、八海山と呼ばれるようになったという。
■境町 織間本陣跡 2時15分

1日目は境町の織間本陣跡で終了。6時間30分かかりました。境町から東武線で帰宅。



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